タイトルは「成熟した人間になるには?」ではなく「人間にとって成熟とは」

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『人間にとって成熟とは何か』(曽野綾子、幻冬舎新書)を読了して、私が本書から読み取る「成熟」とは、感謝、謙虚、本物、自立、友人と思った。



著者は1931年生まれ、作家、1979年ローマ法王によりヴァチカン有功十字勲章を受賞、1972年NGO活動「海外邦人宣教者活動援助後援会」、2012年代表を退任。
カトリックではあるが、キリスト教信者と言われるほど協会の集まりによく顔を出す立派な人たちではないらしい。




 
どんなに事前に会社訪問をしても、職場や取引先の人間関係については、誰も就職前から、熟知するということは不可能だ。


私が就職活動の失敗談で聞いたことがある
 「会社説明会の社員は人当たりがよく、あの社員がいる企業で働きたかった。でも入社したら部下の扱いが雑な上司で鬱になった」と言う話だ。
 会社説明会に参加している社員は、その会社の顔だ。笑顔が素敵な人当たりのよい社員が参加するのは当たり前、大企業が素敵な人ばかりのはずがない。
 
他には、ブラック企業の経験者は就職活動の面接で「人間関係は良好ですか?」と質問をしたらしい。その時の面接官は内心「んなこときくな」と思った。また、その面接官が就職活動していた頃、憧れの企業は不採用だったが業界ではその企業はブラックで有名だった。

どんなに事前に詳しく調べても外部の人間では知り得ない情報がある。著者が言うように、特に人間関係は分からない。


 
「他罰的である」ということなのである。自分のせいでこうなった、のではなく、何でも他者が悪いのである。


高齢ドライバーの事故が注目されている昨今、「アクセルは踏んでいない」。高齢ドライバーの意識では本当にアクセルを踏んでいないのかもしれない、他罰的になる人は偽りではなく本心で自分のせいではないと思っているのかもしれない。

仕事や受験の失敗でも、先生や先輩の「教え方が悪い」と思わず、自分に怠けがなかったか振り返れということ。



他者に評価や称賛を求めるのは、全く見当違いなのだ。ばかにされることを恐れることほど、愚かなことはない。もし私がほんとうにばかなら、ばかにされるという結果は正当なものだし、他人が不当に私をばかにしたら、もしかすると別の人が、私をばかにした人をばかだと思うかもしれないのだ。


 ブラック企業の社員から見るとそこの社長がどんなに極悪人でも、他の人から見たら優秀な社長に思われていたり、近所から評判のより父親だったりする。自分の評価するところと他の人とは違って当たり前、人が違う、立場が違う、視点が違う。どこを見てどう評価するのか、評価するという考えも感情も捨てるのか。



品というものは、多分に勉強によって身につく。本を読み、謙虚に他人の言動から学び、感謝を忘れず、利己的にならないことだ。受けるだけでなく、与えることは光栄だと考えていると、それだけでその人には気品が感じられるようになるものである。

教養をつけ、心を鍛える、という内面の管理


明治大学教授の著者、リーディングエッジ(?)など1日1冊読みなさいと言われ、初めて見たものの3日坊主、いや1ヶ月坊主ぐらいで忘れて消えてきた。品を磨くために、また読書習慣を始める切っ掛けになる。

「与えることは光栄だと考える」をアウトプットの場だと思うと、押しつけにならないか気になるところ。話し方、タイミング、相手との関係。成熟した女性だから「与えられる」のかもしれない。私にとっては「与えられる」は最後の成熟課題。


人生の雑音には超然として楽しい日を送り、日々が謙虚に満たされていて、自然にいい笑顔がこぼれるような暮らしをすることが成熟した大人の暮らしというものだ。


失恋した時に、SNSに日々満たされるアピールをする、したくなる時があるが「滑稽だな」と思いとどまったことがある(笑) 他者にアピールせず「成熟した大人の暮らし」を続けるということ。


参考サイト
Amazon 『人間にとって成熟とは何か』(曽野綾子、幻冬舎新書)
楽天市場 『人間にとって成熟とは何か』(曽野綾子、幻冬舎新書)
ヤフーショッピング 『人間にとって成熟とは何か』(曽野綾子、幻冬舎新書)